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アプリ『通いの場』より愉しいコミュを目指して

ゆき

言葉あそび

 

雪の日はお家でまったりいいですね。

寝てたらまったりまったりです。起きていて目がさめていたらどこかに行かなきゃいけないという氣になります。

あたふた、まあ、学びなさい、ということなんでしょう。

出かけることにしております。

自分でネジ巻いて、カラカラ。

画像コラージュがもっぱら愉しくて仕方ないので、その元となる画像収集が主目的ではないですかね、我ながら。

 

画像というのは、至近も愉しいですが。

重たいカメラを持たずにやってますので、楽ちんなスマホがほぼです。

至近も遠目もそこそこも枚数必要になってきます。

最近のカメラはまずブレないので、撮る時に考えて真っ直ぐに捉えよう、写そうも大した問題ではありません。

とにかく近景、遠景、そこそこ、こっちから、あっちから、そっちから、上からしたからなど撮っておく、また時間を置いてからまた撮っておくと広がりができて物語が展開を増すのです。

買い物に関しては「ケチ」です、ドの付く。

ですが撮り高には拘ります。

高画質と高画素は溜めて置きようがないので今は捨てています。

 

とにかくスピードを持って撮るのみ。

数です。

ひとの目、ひとさまの目からしたらっていうのも着眼点でして。

まとまって色を見たいものだと思うのです、科学だし幾何学だし。

違和感なく調和にありつきたいと思いませんか。

私はそうです。

ありきたりより、カラフル。

濁りよりクリア。

どんよりより爽快感。

フリーより法則性。

私はおしゃべりや文章は滅裂なところがあります、その関係か知りませんが、見るものに時間をかけてはいられません。

頭の整理が大変なので、したい事が次々と湧くという性分で、頭(の中)以外のことはスッキリが好きです。撮った画像はパターンに沿って見やすくクリアに不要かな(と思う)を省く。

引き算の撮り方構成です。

ほぼ考えなくなってきて撮っています。

撮った材料を集めて来て吟味して使えるものを使っています。

ゆき

タイトルにしたのは何故かって。

なりゆきのゆきです。

ま、雪も降り続いてますし。

雪で山が見えてお湯♨️があって。

盛りだくさんの仕合わせです。

 

年明けてから。

「ありがとう」の連呼を思い出してます。

温泉に浸かりながら、

「ありがとう」を呟き、指を折って数えていました。

小林正観さんの本をもうふた昔前に読了しました。飛ばし読みかな。

「ありがとう」に感情は要らないんです。

数だけなんです。

 

語弊ありますよね。

でも飛ばします。

反論は無しです、私。

 

ありがとうは数。

40才付近で毎日のようにぶつぶつ言ってまして、目標は年齢×万単位です。

例えば、

40才ですと、

40万回達成すると、ある段階(ハッピー度といいますか)40才かけることの10000回がひとつのターニングポイントらしいです。

ここは生涯分達成しています。私は。

40才×3万回くらいから先が今の私の到達点かなと認識しています。

 

マン単位で、ある段階そしてまた次の段階へと。

 

そんなことが小林正観さんの本で自分なりに掴んだことでした。

実践するのに適していたのは否応なしに「ありがとうございます」をいう職場にいたことでした。ラッキー✌️って思いました。

 

もう、毎日上乗せで「ありがとうございます」でした。

行き道帰り道「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「.....」なんです。

形から入る、ということはその時何となく知っていましたので。

 

形から。

お茶などでも言いますが。

形から入り心がついてくる。

 

 

結果がどうでもよくなって、氣持ちの良いものでありました。

ありがとう。

他の挨拶もすべて。

人に語る言葉にもすべて。

 

ありがとうは欲を削ぎます。

何かをもらったから「ありがとう」もいいのだけれど。

何かをもらってありがとうなら、

要らないからって「ありがとう」言わないのは勿体ない。

何があっても「ありがとう」だから、先取りの無感情ありがとうの意味が後から後からグッとグッとくるのです。

 

ありがとうの話になってしまいました。

この4日間、温泉に浸かりながら計3〜4万回ほど連呼してみました。

(※ ※ 間違えてました。桁違い、3〜4万回ではなく3〜4千回でした、ごめんなさい。現在5千回)

 

「ありがとう」

成り行き任せでいいんです。

ありがとう

⇨有難い⇨あり得ない⇨奇跡の結果⇨軌跡の積み重ね⇨未来⇨意思未来⇨私